こんにちは、リーズンです。
人に指示されるのが大嫌いなわたしです。
わたしは仕事に疲れてセミリタイアを目指していますが、今の世の中何かとストレスフルな社会ですから同じような想いを持っている人もある程度いらっしゃるかもしれないです。
しかし冷静になってなぜ「セミリタイアしたい」と思ってしまうのかを考えてみるんですよね。
それは意識の根底に「仕事は嫌なことだ」という考えがあるからですよね。
何やら働いている人を社畜と言って卑下するように呼ぶ方もいらっしゃいますが、
「仕事は嫌なものだ」という考えに染まっている人こそ「サラリーマン脳」の持ち主だと思いますね。
自ら歯車の一部となり、ただやらされ感で働くことしかできない・・
結局そのような考えから脱することのできない・・
まさしく考え方がただの雇われサラリーマン的ですね。。
つまり賃金を得るために嫌なことを我慢して働く、という単一的な考えに支配されているように見えてしまいます。
そのような考え方ですとリタイア生活をしてもとても生活を楽しめるような気がしません。
仕事においても自分で決められる限られた領域の中で何かしらの小さな喜び・楽しみを見つけて働ける人もいらっしゃると思います。
仕事全てを「ずっと楽しむ」のはなかなか難しいことかもしれませんが、小さな喜びくらいなら見つけられると思います。
むしろ見つけられないと続けるのが厳しくなってしまいますよね。
これはリタイアしても同じことで、その生活の中で小さな喜びをみつけていくプロセスは同じことだと思います。
ただ大きく違うのは自分の決定領域が大きく広がることでしょうかね。
この点がリタイア生活の素晴らしいところだと思いますが、結局は何かを楽しむ力、喜びを感じる能力がなければ・・働いてなくても毎日つまらないのは変わりませんね。
もうひとつ大事だと思うのは仕事において何かを楽しむことを知っている人は、一度リタイア生活に入ったとしても再度働くことができる人だろうということです。
ただ「仕事は嫌なものだ」という考えのみで離脱してしまうと、もう再度働いて過ごすことは難しくなってしまうかもしれません。
- 与えられたことだけをやらされていると感じる
- お金の対価に嫌なことを我慢している
- 楽しみ・喜びは誰かが運んできてくれると勘違いしている
このような考えに支配されている人は例えリタイアしていても考えが「社畜」的ですね。
ただ自由時間が増えただけで
「自分は自由だ!」
というのでは不十分のように感じてしまいます。
本当の自由は自分を縛る考えから逃れられた時に得られるものではないのでしょうか。
わたし自身もその境地にたどり着くのはいつの日のことでしょうか・・