こんにちは、リーズンです。
あまりあれこれ言われたくないのですが、指摘されないと気がつかないわたしです。
会社からの帰り道、ぼーっと空を見ているとふと思うことがあるんですよね。
「自分はいったい何のために生きてるんだろう・・?」
という思いが浮かんでくることがあります。
別に何か事件があってそのようなことを考える訳ではないのですが、たまに思ってしまうことがあります。
結論としては
「生きることに意味はない。生きることに意味を求めず、ただ生きるだけで良い。」
と思うのですが、それでも何かしら意味を考えてしまうのは暇な証拠でしょうか。
例えば自分のやりたい仕事を思い切りやって毎日楽しい・・
「自分はこの仕事に生きがいを感じる!この仕事をするために生まれてきたんだ!」
ということ、あるかもしれないですね。
また、
例えばすごく好きな人がいてその人とお付き合いすることができて楽しい・・
「君は自分の生きる意味だ!君と出会うために生まれてきたんだ!」
ということ、あるかもしれないですね。
その他色々な状況がありそうですが、どのケースも意味のある・なしは成功した場合における後付けの動機のように思えてしまいますかね。
しかし本当ならば、成功しようが失敗しようが意味があるのなら・・あるのだと思うんですよね。
「わたしは弁護士になりたくて一生をかけて挑戦します!」
という方がいたとしますよね。
何回司法試験に落ちても挑戦を続ける・・
そして結局弁護士にはなれないまま一生を終えたとしてもその過程も含めて意味があると本人が思えば意味があるのだと思うのです。
試験に受かって弁護士になれた場合にのみ意味がある、というのはちょっと結果論だけのような印象を受けます。
ですので何かにつけて前向きに意味があるんだ!と思うのは良いことかもしれないんですが、人生そんないいことばかりではありません。
何かうまくいかなくなった時に意味を求めようとすると
「ああ、一体何のために生きているのか分からない・・」
という袋小路に迷い込んでしまいます。
どうしても生きる意味が欲しいのなら・・それを一生かけて探すのが生きる意味なのではないかと思います。
何も考えないと時間はすぐ過ぎていきますが、考えすぎると迷ってしまいます。
何事もほどほどに・・