こんにちは、リーズンです。
こだわりと頑固が紙一重なわたしです。
米国では前から、日本でも一時期FIREという言葉が流行のように扱われていました。
まだ流行りが続いているのかどうかは不明ですが、今度は一斉にFIREの終焉、という記事が急に増えてきたような感じがしますね。
わたしもFIREに関心があり
「こんな生き方・考え方もあるのだな・・」
という風に感じたことを覚えています。
しかしわたし自身がずっと働いていくことに特に何も疑問を抱いていませんでしたので、その時には自分とは全然違う価値観があるものだな・・という感想でした。
仕事に情熱を傾けていた時期はそれで楽しかったですし、自身がどんどん上昇していくことしか頭になかったですね。
ですが仕事にちょっと飽きてきたり、人間関係の煩わしさなどが増す毎に段々と違う場所へと移れないものかという漠然とした想いは膨らんできました。
それから自分がこれから人生で使うであろう全てのお金を計算してみたり、どのくらいの収入があれば生きていけるのか、などということを初めて考えるようになったんですよね。
そしてそれまでは給料も順調に上がっていたこともあり、節約の意識などほぼなかったですし・住宅ローンも抱えていた状態でしたので、思い立ったからと言って近くFIREできます!ということにはならない感じでしたね。
ですがFIRE、特に「経済的自由を得る」ということは意識したほうが良いのだろうな・・と思うようになりました。
ただ現在もわたしはFIREできていなく、今だセミリタイアに憧れるだけのただの会社員という立場です。
それからそのワードが流行る中で本当にただ流行りに乗っかってセミリタイアした人が実在しているのかどうかも自分にはちょっと分からない部分もありますが、自身は性格的に慎重にならざるを得ません。
FIREという言葉が流行ろうが流行るまいが昔からお金があってもなくても仕事が続かない人はいたように思います。
それが何かFIREというなんだかちょっと格好良い言葉でカテゴライズされることにより、そうなることがあたかも市民権を得たように感じてしまうのが少し恐ろしいことだと思っています。
ですが仕事に行き詰り人生のお先真っ暗だ・・と嘆いてばかりの人にはある意味違う目標ができるのだろうというところでしょうか。
大事なのは雰囲気に流されず、本当の自分の内なるものと向き合い行動を決定していくことだろうと思います。
ただわたし自身はなんだかんだ言ってみてもただ思い切りがない、踏み切れないだけの人間かもしれませんけどね・・